10月9日 年間第28主日 ルカ17章11~19節 あなたの信仰があなたを救った

 

 今日の福音は先週に続く箇所です。十人の皮膚病を患っている人が癒される奇跡の出来事です。前週は信仰についての教えでしたが、今週のイエスの言葉にも信仰が出てきます。

 「重い皮膚病」はかつて「ハンセン病(らい病)」と考えられ、そのように表現された翻訳もありましたが、確定はできないので現在はこのように表現されています。現在のどの病気にあたるかは不明ですが、感染性がある病気として彼らは隔離されていました。原因がわからないため、罪を犯した結果だとする考えもありましたが、それは誤った考えなのは言うまでもありません。しかし、現代でも新型コロナの感染者に対して、「自業自得だ」「コロナは来るな」などという悲しい対応もありました。ましてや、当時の病人に対する世間の目はもっとひどいものだったことでしょう。

 

 感染性のある病気なので彼らは隔離状態におかれ、社会から離れて生活していました。十人のうち、一人はサマリア人だと記されていますが、あとの九人はユダヤ人だったと考えられます。本来、ユダヤ人とサマリア人は同じイスラエル民族でしたが、歴史的・宗教的経緯から対立するようになり、ユダヤ人からサマリア人は異邦人、異教徒とみなされていました。十人の病人が住んでいたところはユダヤ人の多いガリラヤとサマリアの境目だったので、同じ病人として一緒に暮らしていたようです。

隔離状態の彼らはどのようにしてイエスのことを知ったのでしょうか。あるいは彼らのことを何らかの形で世話していた人々から噂を聞いたのかもしれません。それで、イエスが通りがかったときに彼らは離れたところから「憐れんでください」と叫んだのです。

 そしてイエスは、彼らに「祭司たちのところに行って体を見せなさい」と言われました。祭司には皮膚病の診断をする役割が与えられていました。つまり、祭司のところに行くということは皮膚病が治るということを意味していたのです。彼らは祭司のところに行く途中でいやされましたが、サマリア人だけがイエスのもとに帰って来たのです。そしてイエスはサマリア人に「あなたの信仰があなたを救った」と告げられました。

 

先週のテーマも「信仰とは何か」でしたが、ここにも一つの答えがあります。

彼らは自分たちの近くにイエスが来たことを知り、これは千載一遇のチャンスだと思ったのではないでしょうか。近づくことはできないので声を限りに叫びます。そして、神との出会いのチャンスをつかまえることができたのです。これも信仰だといえるかもしれません。しかし、いやされたサマリア人は感謝するために戻ってきました。イエスはそれを「神への賛美」と言われます。そこに彼の信仰を見出されたのです。

彼らの望みは病気からの解放でした。しかしこのサマリア人は、いやされるだけでなく、それが信仰によるものであることをイエスから告げられるという恵みを受けることができました。そして真の祭司がだれかということを知ることができたのです。 (柳本神父)