1月1日・神の母聖マリア ルカ2章16~21節  キリストを生み出す使命

みなさん、あけましておめでとうございます。2020年は新型コロナの感染拡大で大変な年でした。今年は収束に向かい、復活祭には喜び集えることを願っています。新年にあたり、神の祝福がありますように祈りましょう。

教皇ピオ10世は、1月1日を神の母聖マリアの祭日と定めました。一年の始まりの日であるとともに、降誕の八日目であり、イエスが割礼を受けた日の記念でもあります。
初代教会では、イエスは神であるか人間であるか、その両方なのか、神であるとすればいつから神であったのかが論争されてきました。431年のエフェソ公会議でマリアは人間でもあり神でもあるイエスを産んだ方として、「神の母」と呼ぶのがふさわしいことが確認されたのです。

わたしはいつも言っていますが、マリアさまのお祝いはわたしたちのお祝いであるということです。12月20日にも書きましたが、マリアは新約の民第一号です。新約の民はイエスとともに歩む民ですが、そのあるべき姿をマリアが先に示されているのです。
アリアが神の母であるということから、わたしたちとは別格の存在のように思います。たしかに神の母となることは特別な役割だといえるでしょう。マリアの存在なくしてはイエスがこの世に来られることはなかったわけですから。
しかし、わたしたちもマリアのように、新約の時代を歩んでいます。新約の民の役割は、イエスと一つになって、イエスが始められた神の国のために働くことです。そのために、イエスはさまざまな方法でわたしたちのところに来てくださるのです。
たとえば、聖霊の恵みを通して、聖書の教えを通して、聖体の秘跡を通して、わたしたちのうちにイエスが来てくださいます。ちょうどマリアがイエスを宿されたように。そして、マリアがイエスをこの世に生み出されたように、わたしたちもイエスを生み出していかなければなりません。それはまず、身近なところから、イエスの愛を分かち合うことから始まります。イエスが言われた「互いに愛し合いなさい」という教えを実践することによって、愛であるイエスを生み出すことができるのです。

今日の福音では、羊飼いが馬小屋に救い主を訪ねてきた出来事と、イエスが八日目に割礼を受けたことが朗読されます。このとき、マリアは、「これらの出来事をすべて心に納めて、思いめぐらしていた」ということです。神のお告げを受け、神の母となる使命を受け入れたマリアは、ひとつひとつの出来事のうちに神のはからいを感じ取ろうとしていたのでしょう。
わたしたちもマリアのように、日常におけるひとつひとつの出来事に神のはからいを受け止めながら、イエスをいただき、生み出していきましょう。       (柳本神父)