11月13日 年間第33主日 ルカ21章5~19節 髪の毛の一本もなくならない

 

先週は個人の終末にかかわる内容でしたが、今日は世界の終末に関する内容となっています。世界の終末というと恐ろしいイメージがありますが、来週記念するようにイエスが王としてふたたび来られるときです。イエスは恐れずに用意するようにわたしたちを励まされます。

 

ではなぜイエスは恐ろしい出来事を予告されるのでしょうか。それにはイエスと使徒の時代背景を考える必要があります。まず、イエスが「一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」と言われているのは紀元70年のユダヤ戦争における神殿の破壊のことでしょう。ユダヤの人々にとって、信仰のよりどころである神殿が破壊されることは世の終わりに等しいものであった出来事だと思われたからです。

 また、後半でイエスが言われている迫害の出来事は、福音書が編集された時代には切実な苦難でした。そのような時代に、「苦難の先に神の国が訪れる」という希望はキリスト者の励みとなったことでしょう。ですから、イエスの本意は、人々を恐れさせることではなくて、恐ろしい出来事に出会ったとしても「わたしがついているから大丈夫」と希望を与えるところにあったのではないでしょうか。

 世の終わりの前には偽キリストが現れるとイエスは言われます。これはキリスト教以外の宗教の否定というよりも、「地獄に行きたくなければ献金しなさい」「先祖の罪を償うために奉仕しなさい」といった、テレビでも連日報道されているような不安に付け込み、恐れを煽る教えです。キリスト教やほかの伝統宗教でもそういう教え方をすることがあるので気を付けなければ、と思います。宗教は恐れではなく、希望と喜びを与えるものであるべきですね。

 

 小学校の遠足でひらかたパーク(ひらパー)に行きました。遊園地よりも背後の公園が目的地でしたが、帰りに先生方がアトラクション「びっくりハウス」に連れて行ってくれました。家の中に入って向かい合わせの椅子に座ると椅子がブランコのように揺れ始め、そのうちぐるんぐるんと回りだし、座っているわたしたちは落ちないように必死につかまります。わたしたちは文字通り上を下への大騒ぎ。でも実際は建物が二重になっていて、内側の壁や天井が回転していたのでした。そのように、目まぐるしく変わっていくこの世にあって,世の中の動きに振り回されないようにすることが必要です。

イエスは「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない」と言われました。ほんとうにそうならいいなあと頭を気にする方もいらっしゃるかもしれませんが、イエスはわたしたちの存在そのものを守ってくださるということです。何よりもイエスの十字架と復活がそのしるしです。いのちをかけてわたしたちに救いを与えてくださった、これ以上にたしかな希望があるでしょうか。                    (柳本神父)