12月12日 待降節第2主日 ルカ3章10~18節  救い主への橋渡し

今日の福音は先週に続き、洗礼者ヨハネが主人公です。先週の箇所から少しおいて、ヨハネは洗礼を受けに来た人々に教えを伝えます。そして、ヨハネがメシアではないかと考えていた人々に「わたしよりも優れた方(救い主)が来られる」ということを伝える場面です。

この前の箇所でヨハネは洗礼を受けにきた人々を叱るのですが、マタイの福音ではその対象がファリサイ派やサドカイ派の人々となっています。今日のルカでは明記されていませんが、徴税人や兵士が出てくるところを見ると、さまざまな立場の人々があつまってきたのかもしれません。

彼らにヨハネが告げたのは、一般の人には「貧しい人に施すこと」、徴税人には「余分に税金を取り立てないように」、兵士には「脅して金を取るな」ということでした。兵士はローマ兵とも考えられますが、文脈から集まってきたのはユダヤ人だったようなので、ヘロデ王の兵士だったのかもしれません。いずれにしても、悪と不正を避け、正義を行うことを求めたということです。

興味深いのは徴税人と兵士が登場することです。徴税人はローマ帝国に納める通行税を取り立てる仕事をしており、手間賃として多額を上乗せして稼いでいました。それでユダヤの人々からは嫌われていたのですが、イエスが彼らと仲良くしていたのはマタイやザアカイの話で分かります。また、兵士はユダヤ人だったかもと書きましたが、ひょっとするとローマ兵だったかもしれません。そうすると異邦人だったことになります。彼らが登場するのは、イエスが徴税人と交わり、ローマの百人隊長のような異邦人に教えを伝えたことと対応しているのかもしれませんね。

先週の福音との関連で考えると、「荒れ野」のような状況から助けを求めて叫んでいる人々の声に心を留め、自分のあり方を転換することは、まさにイエスが告げられた神の国の福音に向かう回心であるといえます。その意味でもヨハネの宣教は、イエスに人々をつなぐ橋渡しの役割を果たしていたということができます。

待降節というとクリスマスの準備期間であるというイメージが強いですが、それは教会の信者のためだけのものではありません。新型コロナが終息しないうちにオミクロン株が発見され、人々はクリスマスソングや讃美歌が流れる中でも不安を抱えながら日常を送らざるを得ない状況です。

2000年前のイスラエルでも多くの貧しい人々は不安の中に過ごしていました。そのような人々に、ヨハネは救い主到来の希望を伝え、イエスは喜びの福音を告げ知らせられました。わたしたちもヨハネのように人々とイエスをつなぐ使命をいただいています。現代のわたしたちは、どのように人々をイエスにつなぐことができるでしょうか。(柳本神父)