12月24日・主の降誕夜半のミサ ルカ2章1~14節 宿屋には泊まる場所がなかった

みなさん、クリスマスおめでとうございます。

今年はコロナ感染が拡がる中でのクリスマスとなりました。そのため、大勢で集まることができません。また、残念ながらパーティーも中止となりました。そのような中、わたしたちは「おめでとう」と言いづらい状況ですが、こんなときこそ救い主が人となって生まれてくださったことを喜びたいと思います。

ずいぶん前の上映ですが、「マリア」という映画をご覧になった方も多いと思います。キリスト誕生の物語が時代考証に基づいて、かなりリアルに描かれていました。大天使ガブリエルがひげを生やしていたのには笑いましたが。ヨセフとマリアのベツレヘムに向かう場面も、苦難の連続でした。そうしてようやく着いたベツレヘムに泊まる場所がありませんでした。

住民登録のため満員だったといわれていますが、あるいは身なりが貧しく、長い旅で汚い格好だったかもしれません。また、お金をたくさん持っていたら混んでいても泊めてもらえたかもしれません。いずれにしても、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」のです。

このことは象徴的な出来事です。救い主が恵まれた環境の中で生まれることができなかったということですが、同時に救い主イエスがどのような生き方をされることになるかを表しているといえるでしょう。「泊まる場所がなかった」という箇所は同じルカ福音書9章58節の「人の子には枕する所もない」という、宣教生活の厳しさを語られている箇所を思い起こさせます。また、宿屋から追い出された状態は、権力者から排斥されて処刑されるイエスの最期を象徴しているといえるかもしれません。

そして、イエスの宣教は、そのように家もなく貧しい人々や、罪人として排斥されていた人たち、社会から取り残されていた病人や障碍者に向けて行われ、「あなたがたこそが神の国の中心である」と告げられたのです。

現代の社会にあって、イエスのような立場の人とはどのような人々でしょうか。社会を見渡してみると、泊まる場所のないホームレスの人々、平和を求めて逃げ惑う難民たち、社会から取り残される高齢者など、イエスの時代と共通する立場の人々の存在に気づくはずです。現代的な問題としては、インターネットやメディアで中傷を受ける人々や、新型コロナの患者や家族も非難され、苦しい思いをさせられています。

イエスがこの世に来られたのは神の国の福音を告げ、それを実現するためでした。馬小屋の幼子の姿は、排除によって成り立つ社会から、最も弱い立場の人々が大切にされる社会へと変わるようにと、救い主が来られたことを表しています。社会の中で苦しむ人々と心を合わせてもう一度、クリスマス、おめでとうございます!(柳本神父)