12月24日 主の降誕(夜半) ルカ2章1~14節 これがあなたがたへのしるしである

 

みなさん、主の降誕おめでとうございます。このシリーズは「主日の説教」ですが、24日の夜半のミサに参加されない方、クリスマスに教会に行けない方もおられると思いますので、24日夜半と25日日中の両方の福音を分かち合わせていただきます。

24日夜のミサの福音は、例年ルカ福音書の2章が朗読されます。主の降誕の出来事はマタイ福音書とルカ福音書に記されています。マタイ福音書には占星術の学者が幼子の生まれた家(馬小屋ではなく)を訪ねた、と書かれていますが、ルカ福音書では馬小屋で生まれた幼子を羊飼いが訪ねたという内容となっています。

 

馬小屋での誕生というと、聖徳太子もお母さんの間人皇后が馬小屋の前で産気づいて生まれた、とされていることを思い出します。それで厩戸皇子と呼ばれるようになったということです。一説によると、弘法大師が中国に留学しているときに景教(キリスト教の一派)の教えを学び、そこでキリスト誕生の話を聞いて、日本に伝えたのがもとになったとのだといわれています。伝統的に偉大な人は不思議な生まれ方をするといわれているので、その話が取り入れられたのかもしれません。

しかし、イエスはそのような意味で、馬小屋で生まれられたのではありません。ルカの福音では、救い主が馬小屋で生まれたことが強調されていますが、そこには別の意味があります。それは「貧しさ」ということです。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」という一文がそれを表しています。神さまのひとり子でいらっしゃる方ですから、立派なところでお生まれになって当然でしょう。しかし、本来人間の寝る場所ではない馬小屋での誕生は、神の子が貧しさを身に帯びてこの世に生まれてこられたことを表しているといってもいいでしょう。

そして訪ねてきたのは羊飼いでした。多くの人々が救い主の誕生を待ちこがれていたのに、会うことができたのは貧しい羊飼いだけでした。彼らは野宿をしながら羊の世話をするという厳しい生活を送っていました。イスラエルの民の先祖は遊牧民でしたが、イエスの時代には、羊を世話するのは底辺の人々の仕事であったようです。

その羊飼いに天使は「それがあなたがたへのしるしである」と告げました。「しるし」とは単に目じるしという意味ではありません。馬小屋の飼い葉桶に眠る姿が救い主のあり方を表す「しるし」だということです。それは救い主が社会の底辺に降りてこられたことをもっともよく表す「しるし」でした。

 

この「しるし」は羊飼いだけでなく、今のわたしたちに対する「しるし」でもあります。

先日、奈良教会の馬小屋の前に子供を立たせて写真を撮っているご家族がおられました。単なる記念撮影かもしれませんが、飼い葉桶に眠る幼子の姿が、世界中の人々の心に救いの「しるし」として記されることを願わずにはいられません。      (柳本神父)