12月17日 待降節第三主日 ヨハネ1章6節~8、19~28節 荒れ野で叫ぶ人々とともに

 

今週も洗礼者ヨハネの登場です。ヨハネの福音の冒頭、「はじめに言葉があった」で始まるイエスの誕生を象徴的に表した箇所に続くところです。先週と重なる内容ですが、第三主日はヨハネがイエスを指し示す言葉を中心に救い主の到来を準備します。

 

今日の福音のように前週と似た内容ですと説教に困ります。幸い奈良ブロックでは日曜日ごとに司式する教会が違うので同じような内容の説教でも問題ないのですが、このプリントではそうはいかないので先週とは違うポイントから説明したいと思います。

ヨハネの福音書では、同じ名前だからというわけではないでしょうが、洗礼者ヨハネの役割がとくに強調されています。この後に続く箇所で、アンデレも洗礼者ヨハネの弟子からイエスの弟子に引き継がれたことになっているのもその表れでしょう。(なお、このあとヨハネというのは洗礼者ヨハネのほうです)。

今日のヨハネも自分がイエスに引き継ぐ役割が与えられていることを自覚して述べているようです。自分がメシアではなく、エリアでもなく、「あの預言者」でもないと断言します。メシアは救い主、エリアは預言者で救い主が来る前にもう一度現れると考えられていた人です。「あの預言者」は申命記18章15節に記されているモーセのような権威ある預言者のことです。そして「ではあなたは何者か」という問いに対して「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」とヨハネは答えています。これは先週のマルコの福音と同じイザヤの預言からの引用です。おもしろいのはこの内容は四つの福音書に共通していて、「履物のひもを解く資格もない」という言葉もほとんど同じです。とくにヨハネの福音書はほかの三つと表現が違うことが多いのですが、このヨハネの証しのくだりはよく似ています。初代教会で洗礼者ヨハネについての伝承が大切にされてきたしるしだといえるでしょう。

ではなぜヨハネは「荒れ野で叫ぶ者」であったのでしょうか。ユダヤ人にとっての聖地はエルサレム神殿ですが、ヨハネはそこから離れてヨルダン川沿いの荒れ野で生活していました。いなごと蜂蜜を常食としていたのですから、断食に等しい生活でした。わたしも長野県の駒ケ根教会に滞在していたときに、いなごの佃煮を食べたことがあります。これは今はやりの「昆虫食」のはしりですが、山に囲まれた寒冷地では冬の貴重なたんぱく源であったそうです。

 

荒れ野は見捨てられた土地であり、貧しさを象徴する場所でもあります。ヨハネは富と権力が支配していたエルサレムを離れ、貧しい荒れ野で悔い改めを宣べ伝えていました。荒れ野の叫びは見捨てられた人、貧しい人々の叫びでもあったのです。

この叫びは神のもとに届きました。そして遣わされた救い主は「貧しい人に福音を告げ知らせるために」(ルカ4章18節)来られたのです。ガザやウクライナをはじめ、今も荒れ野で叫ぶ人々とともに救い主を迎える準備をいたしましょう。    (柳本神父)