8月20日 年間第20主日 マタイ15章21節~28節  小さな信仰が世界を変える

 

先週の福音でイエスは弟子たちと舟で静かになった湖を渡られました。着いたのはゲネサレトという土地でした。ファリサイ派の人や律法学者との議論のあと、イエスの一行はティルスとシドンの地方に移動します。そこでの出来事です。

 

ティルスとシドンはガリラヤ湖の北、地中海に面する地域です。地中海沿岸は交易の盛んな地域で他民族との交わりが深かった分、他民族の偶像崇拝も盛んであったといわれています。そしてこの女性は「カナン」の女性であったということです。

ヘブライ人(イスラエル民族)がヨルダン川を越えて侵入した時代にはその一帯は「カナン」と呼ばれていました。イスラエル王国が建国されたあともカナン民族は存在していたようです。いずれにしてもユダヤ人からみれば異邦人の異教徒であり、交わってはいけない存在であったということです。

イエスはなぜこの女性の願いを拒否しようとしたのでしょうか。たしかに彼女は異邦人ですが、それで差別をされるような方ではなかったはずです。冷たいイエスの態度はわたしたちにとってイメージが違うものだといえます。

ここでまず、イエスの宣教計画について考える必要があります。「わたしはイスラエルの失われた羊のところにしか遣わされていない」ということばから、イエスはイスラエルの民ではあるものの、貧しい人や病人や障がい者、罪びととされている人など、宗教的に疎外されていた人々に神の教えを伝えることを優先されたのでしょう。「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9章36節)こともあったのだと思います。また、イエスの奇跡は神のわざとしてなされるものであるので、単に「病気を治してくれる人」という評判が広まるのを危惧されたのかもしれません。

イエスはこの女性が断られてどういう態度をとるのか試したのだ、という考え方や、イエスがこの女性がどういう答えをするかわかっていてわざと冷たい態度を示したのだ、という考え方もあるかもしれません。しかし、イエスは人間として生活された方です。百人隊長の答えに驚かれたように(マタイ8章10節)、この女性の答えにも驚きがあるように思えます。彼女がどのように答えるかがわかっていたとしたら、そこには人間としての驚きも感動も、そして喜びもないのではないでしょうか。

 

イエスはカナンの女性や百人隊長の信仰に驚き、感動して異邦人への宣教の必要性を感じられたのではないでしょうか。それはパウロをはじめ、使徒たちに引き継がれていきます。そして遠く離れた日本にも伝わりました。

イエスは人間としてわたしたちの思いをくみ取ってくださいます。そして、わたしの小さな信仰が世界を変えることにつながるかもしれないのです。      (柳本神父)