3月3日 四旬節第3主日 ヨハネ2章13節~25節 新しいいけにえ、新しい神殿

 

四旬節第三主日の福音は年によって内容が変わります。B年の今年はヨハネの福音からイエスが神殿の商売人を追い出した場面が朗読されます。マタイ、マルコ、ルカではエルサレム入城後の出来事として記されているのに対し、ヨハネでは宣教を始めたばかりのところに記されています。

 

イエスは激しい怒りの感情を表されるシーンです。この出来事は日本のキリスト教では伝統的に「宮清め」と呼ばれてきました。なんだか神社の境内を神主さんや巫女さんが掃除しているようなほのぼのとした光景が目に浮かびますね。あるいは奈良県民なら平城宮とか飛鳥の宮を思い浮かべられるかもしれません。どうもエルサレム神殿を「宮」と訳すのはイメージ的に無理があるようです。

そのエルサレム神殿でのイエスの行いは、神の家である神殿での商売を禁ずるということに注意が向けられがちです。たしかに神殿でお金儲けするのはよくないことでしょうが、実はこれらの商売は神殿礼拝に必要なものでした。

イエスの時代のイスラエルはローマの属州だったので、ローマの貨幣が流通していました。しかしローマ帝国で神と等しいとされている皇帝の肖像の貨幣を神殿に献金するのは神を冒涜することになるので、両替人は手数料を取ってユダヤの伝統的な貨幣と交換していました。そのお金を神殿に献金していたのです。ゲームセンターのコインみたいですね。また、遊牧生活時代には自分たちが飼っていた家畜を神殿にささげていましたが、定住して町で生活するようになると動物を調達する必要があります。そのためには神殿の境内でいけにえの動物を買う場所が必要でした。ですから、礼拝する人のためにこれらの商売をする人がいたというわけです。

それらの商売人をイエスが追い出されたのは、神殿礼拝に必ずしもユダヤのお金やいけにえの動物が必要でないということのしるしでした。これは律法を必ずしも規定通りに守る必要がないということを意味しています。イエスの行為を非難した人々に対しての「神殿を三日で建て直して見せる」という答えはご自分が神殿に代わる者であるという意味でした。ヘブライ人への手紙の9章と10章には、イエスご自身がいけにえとなられて旧約のいけにえを終わらせたということが述べられています。つまり、イエスが新しい神殿となられたということです。

 

ヨハネの福音書においてこの出来事が最初のほうに置かれているのは、イエスがどのような救い主であるかを先に示して、その後のイエスのみことばを味わうようにという配慮かもしれません。先週の福音も復活の栄光を先に示された出来事でしたが、今週の福音からも受難の先に復活の栄光が与えられることが示されています。四旬節はいけにえとなられたイエスとともに復活へと歩む道のりなのです。           (柳本神父)