6月23日 年間第12主日 マルコ4章35~41節 嵐の先の神の国

 

今日の福音は先週に続く箇所です。イエスは弟子たちと湖を対岸に渡ることになりました。その際の出来事です。この話はマタイとルカにも記されていますが、ヨハネでも湖の天候が荒れる話が出てきます(6章16~21節)。こちらはイエスが湖面を歩いて来られ、船に乗り込まれると嵐が収まるというお話です。

 

ガリラヤ湖はそんなに大きい湖ではありません。けれどもやはり荒れた天気のときには舟で渡るのも困難だったことでしょう。あのおだやかに見える琵琶湖でも大自然が牙をむくことがあります。三高ボート部の11人が遭難した悲劇は「琵琶湖哀歌」に歌い継がれています。ガリラヤ湖上の弟子たちも、突然の天候の悪化に不安でいっぱいだったのではないでしょうか。イエスが起きて嵐を静められたとき、彼らは安心するとともに、イエスが神からの力をいただく存在であったことを心に刻んだことでしょう。

弟子たちの恐れは嵐だけでなく、対岸に渡るという不安もあったのではないでしょうか。ヨハネの福音書ではカファルナウムですが、マルコ5章に書かれている目的地は「ゲラサ人の地方」でした。いずれも異邦人、異教徒の住む地方と言われています。嵐はそのようなところに向かう彼らの心を表していたのかもしれません。いずれにしても、イエスは心の嵐を静め、平安を与えてくださる方であるということです。

わたしたちの心の不安とは何でしょうか。病気や体調、人間関係、死への恐れなどの個人的なものもありますが、現代においてはウクライナやガザの戦争、諸物価の高騰、利益優先の社会や少子化など、心配の種には事欠かない状況です。そんなとき、わたしたちはどうすればよいのでしょうか。

奈良市の徳融寺というお寺に面白い石碑があります。「軍馬いななき国滅ぶ…」という碑文の下に建立者の吉村長慶さんが寝ている釈迦とイエスを揺り起こしているさまが彫られています。これが奉納されたのが昭和12年、日本が軍国主義へと急速に歩みを進めていった時代です。長慶さんはのちに宇宙教を創設するなど奇人ではありましたが、平和主義者でした。「お釈迦様、イエス様、早く起きてこの世を救ってください」と呼びかける長慶さんの姿は今日の福音の弟子たちの姿と重なりますね。なお、この石碑は戦時中、反戦的であるとして、官憲の命令で扉をつけて隠されたそうです。

 

イエスは弟子たちに「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と言われます。叱責される言葉のように思いますが、裏返せば「信じるならば怖がることはない」という意味だと言えるでしょう。わたしたちにとっての心の嵐は自分のこと、社会全体のことなどさまざまですが、怖がりながらもイエスが何とかしてくださることを心の片隅に持っておくことが必要です。先週の福音との関連で考えると、イエスは陰で神の国の木を大きく育てておられます。嵐の先の対岸は神の国のことだといえるかもしれません。    (柳本神父)