2月20日 年間第7主日 ルカ6章27~38節 いつくしみ深く 御父のように

 

今日の福音は先週に続く箇所です。今週から来週にかけて、「敵を愛する」「人を裁くな」といったテーマでイエスの説教が続きます。内容的につながらないところがあるのはイエスがいろいろな場面で話された教えがまとめられたものと考えられます。

今日の福音の前半は、「敵を愛しなさい」という教えです。とくに「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい」という言葉は一般の人々にもよく知られています。それでドラマか漫画の中で、キリスト信者を揶揄する場面で「ほら、反対の頬も向けてみろ」などと使われることがあったようにも思います。

以前、「倍返し」という言葉が流行語になりましたが、仕返しをしたいという気持ちはわかります。忠臣蔵などの仇討ちや復讐をテーマにした映画やドラマは人気です。悪い奴が成敗されるのを見るとスカッとしますね。しかし実際は法律の問題もありますし、実行できるものではありません。さらに、悪人であっても、まったくよい心がないわけではありません。前にも引用しましたが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」がそうです。これはお釈迦さまの話ですが、神さまもたとえ極悪人であっても、よいところを見つけて救おうとなさる方です。教会が死刑に反対するのもその教えとつながっています。

そして、ここで大切なことは、イエスは父なる神との関係において語られているということです。「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深いものとなりなさい。」2015年~2016年の、いつくしみの特別聖年のテーマ「いつくしみ深く御父のように」はこの箇所から取られています。「憐れみ」はみじめな人をかわいそうに思うというニュアンスがあるため、さらに深い愛を表す「いつくしみ」に置き換えられています(「あわれみの賛歌」も新典礼では「いつくしみの賛歌」に変更されます)。

イエスが子羊のように人間を抱いている特別聖年のシンボルマークをおぼえていらっしゃるでしょうか。イエスの目は抱かれた人の目と一致しています。このように、「敵を愛する」ことは父なる神と同じまなざしを持つということなのです。

 

「敵を愛する」というと私たちの日常生活とはかけはなれたイメージを持つかもしれません。しかし、日常生活において、わたしたちはだれでも人間関係の問題を抱えています。はっきりとした「敵」でなくても、苦手な人、会いたくない人を受け入れるのは困難なことです。でも、「愛する」とは仲良くすることとは限りません。距離を置きながらも、神がその人を愛されているということを知ることが愛への入り口です。親しい人とは苦手な人の悪口を言い合うのではなく、一緒に祈ることができたらすばらしいですね。

父なる神は人間の罪と悪に対してひとり子を与えるという愛を示してくださいました。そこまでの愛でなくても、神の思いを知ることから始めましょう。    (柳本神父)