4月10日 受難の主日 ルカ23章1~49節 父よ、彼らをお赦しください

四旬節最後の主日、今日は受難の主日です。枝の主日とも言われます。それは、イエスのエルサレム入城を記念するためにミサの最初に枝を持って入堂するからですが、コロナ対応のため、昨年に続き今年も入堂の行列は行わない予定です。そのため、エルサレム入城の福音は朗読されないので、受難の朗読について述べたいと思います。

イエスの受難は四つの福音すべてに記されていますが、C年の今年はルカの福音が朗読されます。なお、聖金曜日の受難の朗読は毎年ヨハネの福音から選ばれています。

23章の前半はイエスの裁判についての内容です。裁判のあと、イエスは処刑への道を歩まれますが、皆さんも「十字架の道行き」の祈りでよくご存知のことと思います。

余談ですが、長浜教会では週によって英語とポルトガル語の「十字架の道行き」も行っていました。言語によって内容が違うのに驚きました。万国共通だと思っていたのですが、国によって違うということを初めて知った次第です。

 

マタイとマルコにはキレネ人のシモンが十字架を担わされる場面がありますが、ルカにはありません。また、「十字架の道行き」の祈りにある、ヴェロニカの差し出した布にイエスの顔が映るという場面は聖書にはありません。そしてルカの福音で特徴的なのは女性たちを慰められる場面があることです。

この女性たちへの言葉は恐ろしいことが起こるという予告になっています。おそらくこれは、紀元70年のユダヤ戦争におけるエルサレム神殿の破壊のことだと考えられます。それはイスラエルの人々にとって世の終わりに等しい出来事でした。しかし、そのときには新約の時代、イエスを神殿としてともに歩む時代が始まっていたのです。そしてイエスの十字架の苦しみは復活の喜びにつながるものであったことを忘れてはなりません。

また、イエスとともに十字架につけられた二人の犯罪人の一人が回心する場面もルカの福音だけに記されています。マタイとマルコは二人ともののしったことになっています。史実はどうなのかはわかりませんが、ルカはここでも悔い改めの大切さを述べています。

 

今年の四旬節は、とくに先週と先々週のルカの福音において「悔い改め」と「赦し」が強調されていました。そして今日のルカによる受難の福音においてもそのテーマが表されています。イエスは十字架につけた人々-ユダヤの権力者、殺せと叫んだ群衆、ピラト、ローマ兵、そしておそらくはののしった犯罪人も含めて「父よ、彼らをお赦しください」と言われます。わたしたちに悔い改めを望まれる一方で、悔い改めない人々のために赦しを祈られます。しかもそれはイエスにとって極限状況の中での祈りでした。イエスはまさに命をかけて赦しを願われたのです。

わたしたちもたびたび神の愛に背き、イエスを裏切ります。「彼ら」の中にはそのようなわたしたちも含まれているのです。                 (柳本神父)