8月15日 聖母の被昇天 ルカ1章39~56節 神の正義を実現するために

 

毎週主日の福音について書いていますが、ミサに行くことのできない方のために、被昇天祭の福音についても述べさせていただくことにしました。

8月15日に五世紀のエルサレムで祝われていた聖母マリアの記念は、東方教会を経てローマ教会でも8世紀に聖母被昇天の祝日として祝われるようになりました。1950年にはピオ12世教皇によって、マリアが肉体をもって天に上げられたことが教義とされました。

 

今日は特別なお祝いのため、継続して読まれる主日の福音からは離れる内容ですが、同じルカの福音です。福音はイエスの伝えた神の国のみことばですから、前後の主日の福音と共通するテーマを求めながら味わっていきましょう。

今日の福音の場面はマリアがエリサベトを訪問したところです。特に大切なのは、マリアが神をたたえて語ったという「マリアの賛歌」です。神がご自身になされたわざを讃える言葉とともに、後半では社会正義の実現がはっきりと述べられています。「思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし…」という表現は、イエスの「貧しい人は幸いである」という教えにつながります。つまり、これは「神の国の実現」を表しているのです。そうすると、第一朗読で黙示録が、第二朗読で世の終わりについて朗読される意味が明らかになります。聖母の被昇天は世の終わりと深く結びついている出来事だからです。

なぜ2000年も前の出来事が世の終わりと関係があるかと思われるかもしれませんが、「肉体をもって天に昇る」といえば世の終わりの「体の復活」を思い出しますね。その通り、聖母マリアはわたしたちの「体の復活」を先取りされた方です。聖母の姿はわたしたちの将来の姿です。聖母の無原罪も、わたしたちが聖母のように罪から解放されるというしるしだということができるでしょう。

いま、主日に朗読されるルカの福音では、イエスの受難に向かう旅の途上の出来事が読まれています。昨日の福音もイエスの厳しい言葉の内に、神の国を選ぶことの大切さが強調されていました。来週の福音でも神の国を選ぶことの困難さが述べられています。しかし、聖母マリアはそれを選び、成し遂げられました。このことはわたしたちの希望です。聖母を慕うことは、聖母の歩まれた道を進むことなのです。

 

聖母マリアの祝日は聖母のすばらしさをたたえるためだけのものではありません。神が聖母を通して成し遂げられた救いのわざをわたしたちもいただくことができるという、わたしたち自身のお祝いです。しかも、今日のみことばにもあるように、聖母はこの世の不条理を正し、苦しむ人々をあがなわれるようにと、主に取り次いでくださる方です。

そして、聖母が告げられたこの世の正義の実現のために、わたしたちも神に協力して働く必要があるのです。                        (柳本神父)