8月23日・年間第21主日 マタイ16章13~20節  鍵は開けるために預けられている

今日の福音の前半はイエスが「わたしは何者か」と弟子たちに尋ねられる場面、後半はペトロを教会の頭に任命される場面です。この二つのことは、遠い昔に弟子たちが体験したことですが、それぞれ現代のわたしたちにも深いかかわりのあることです。

イエスは弟子たちにまず、「人々は、人の子(イエス)のことを何者だと言っているか」とお尋ねになります。弟子たちは、「洗礼者ヨハネ」「エリヤ」「エレミヤ」「預言者の一人」という人々の噂を伝えます。これらの評判は洗礼者ヨハネを含めて、イエスが救い主メシアを告げる預言者であるとの考えでした。
次にイエスは、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とお尋ねになります。そこでペトロが真っ先に「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えます。つまり、イエスは人々の評判ではなく、弟子たち自身の率直な答えを求めたのでした。

わたしたちがもし同じ問いかけをされたらどう答えるでしょうか。イエスから直接尋ねられることはなくても、周りの人から「イエスって何者?」と聞かれることもあるでしょう。そのときに「神学者はこう言っています」「教会ではこう教えられました」という答えではなく、「わたしはこう思います」という答えが求められているのです。正しい答えをする必要はなく、自分にとってイエスとは、という答えが必要なのです。わたしにとってイエスとは何者なのでしょうか。

ペトロが正しい答えをしたのでご褒美に教会の頭とされたと思うかもしれません。果たしてそうでしょうか。ここでイエスのおっしゃった言葉を考えてみましょう。
イエスは、ペトロに対して「このことを現したのは、わたしの天の父なのだ」と言われます。「このこと」はイエスが救い主であり、神の子であるということです。それは教会の信仰の根本です。イエスがペトロの上に教会を建てると言われたのは、ペトロの答えに表された信仰が教会の信仰であるという意味が込められています。そして、イエスのことばどおり、教会はイエスを通して父なる神とつながっています。

イエスがペトロに「天の国の鍵を授ける」と言われたのも、「あなたはメシア、生ける神の子です」という信仰が天の国の鍵であるということでもあるのでしょう。
「あなたが地上でつなぐこと…」ということばも、イエスの望み通り、すべての人を天の国に導く使命が与えられているということです。鍵は閉めるためにも使いますが、地上の教会に預けられたということは、天の門を開くために使いなさい、ということです。ペトロに預けられた鍵はわたしたちも合鍵として預かっています。多くの人が、門が開かれるのを待っています。では合鍵を持っているわたしにできることは?    (柳本神父)