8月9日・年間第19主日 マタイ14章22~33節  幽霊の正体見たり

今日の福音には「幽霊」が出てきます。実際には幽霊などではないのですが、おもしろいことにこの福音が読まれるのはちょうどお盆のころです。夏のこの時期にふさわしい福音だと思うのはわたしが日本人だからでしょうか。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということばがあります。幽霊だ!と恐れていたものが実は枯れたススキだったということで、怖がっていたら何でも幽霊に見えるという意味だそうです。今日の福音では、湖の上を歩いてきたイエスを、弟子たちが幽霊と見誤ったということでした。つまり、弟子たちは舟の上で恐れていたということです。
なぜ幽霊やお化けは怖いのでしょうか。まず言えることは、それこそ「正体がわからない」ということです。枯れ尾花もススキだとわかったら安心します。わたしたちは未知のものに対して恐れをいだくのです。
ところが弟子たちが幽霊だと思ってしまった姿の正体はイエスご自身でした。恐ろしいどころか、最も頼りになる方だったのです。そして、イエスは弟子たちに「わたしだ。恐れることはない」と言われます。「わたしだ」と言われるのは単に、「幽霊ではなくわたしだ」というだけでなく、「わたしがここにいる」という意味が込められています。
弟子たちの恐れは、幽霊に対する恐れもあったでしょうが、その前に、彼らは逆風のために波に悩まされていた、とあります。向こう岸に向かうのに逆風が起こったという出来事は、新しい土地へ向かうのに不安があったという、彼らの心理状態を表しているとも考えられます。そこでイエスが「恐れることはない」と言われたのは、新たな土地に向かうときにも「一緒にいるから大丈夫だよ」という励ましも込められていたといえるでしょう。

わたしたちを含め、世界中の人々がいま恐れているのは新型コロナウイルスです。その恐れの大きな理由の一つが「よくわからない」未知のウイルスだということでしょう。どのように感染するのか、感染しているのかしていないのか、予防方法は、何が効くのか、この先どうなるのかなど、まだまだわからないことだらけです。それに対していろいろな予測や対策が出され、わたしたちをさらに不安に陥れます。終息が見えない今、わたしたちは不安と恐れのうちにあります。
けれども、イエスご自身が波を越えて弟子たちのもとに来られたように、時空を超えてわたしたちのもとにも来てくださいます。そして、「わたしが一緒にいるから恐れることはない」とおっしゃってくださっています。

現在のような状況がいつまで続くのかは分かりませんが、神は確かにわたしたちを新しい地平に向かって導いておられます。さあ、わたしたちもペトロのように、イエスの手をしっかりと握って歩みましょう。                   (柳本神父)