敬老の日おめでとうございます。

 今年も昨年に続き、新型コロナウイルスの感染が広がる中で敬老の日を迎えることとなりました。毎日をさみしさと不安の中で過ごされている方も多いと思います。それで、今年も敬老の日のメッセージを送らせていただくことにいたしました。

イエスは弟子たちに言われました。

 わたしの名のためにこのようなこどもの一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。(マルコ9章37節)

 これは、敬老の日の前日、年間第25主日である9月19日の福音の最後の部分です。本来ならば、みんなで教会に集まってこの福音を聞き。敬老のお祝いを行うところですが、今年もむつかしい状況です。それで、お家や施設、病室でこの福音を味わっていただきたいと思います。

 この言葉は、弟子たちが「だれがいちばん偉いのか」ということを議論していたことに続いてイエスがおっしゃった言葉です。わたしたちの社会では、仕事ができる人、社会の役に立つ人、人の上に立つ人が「偉い」とされています。弟子たちもそのような考えで議論していたのでしょう。しかしイエスは、一人のこどもを真ん中に立たせます。こどもは仕事もできませんし、親やまわりの人の世話を受けなければなりません。けれども、イエスはこのようなこどもこそ社会の中心なのだ、と神の国のあり方を示されました。

 わたしたちも年を重ねていくにつれ、今までできたことができなくなり、人の世話を必要とすることが多くなっていきます。けれども、イエスはそこに価値を見出すよう教えられます。働けなくても祈ることができます。世話になることによって、人の愛を受け止めることができます。この福音はこどもの日にふさわしい内容ですが、実は敬老の日にもふさわしい朗読個所だったのです。
 なかなかお会いすることはできませんが、同じキリストに結ばれていることを忘れず、毎日をお過ごしください。また、教皇様、司教様、そして奈良ブロックの教会のみなさんのためにどうぞお祈りください。

 みなさまのお心とお体のご健勝を心からお祈り申し上げます。


2021年 敬老の日に
奈良ブロック 司牧チーム一同