復活祭メッセージ 2023年

 

主の復活はこの歌で美しくまとめられています:「主は今、生きておられる、わがうちにおられる。すべては主の御手にあり、今日も明日も生きよう、主がおられる!」

聖パウロは、すべてのキリスト者にとって、イエスの復活が如何に重要であるかを教えています ー つまり、復活したイエスがいなければ、キリスト教は全く存在しないと:「そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし・・・キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。・・・この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」(コリント一 15:14〜20)

 

多くのカトリック教徒は、イエス・キリストの復活よりも救いの死に焦点を合わす傾向があります。受難劇、十字架の道行、メル・ギブソンの「パッション(キリストの受難)」のような映画、また、十字架や苦しみに関する雑誌の記事は、イエスの死が救いの主要な出来事であって、復活は単に付録に過ぎないという印象を醸し出しているようです。しかし、それどころか実際には、「聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。」(ローマ1:4)だと聖パウロが伝えているように、イエスが救い主であり、人類の主であるとみなされるのは、イエスの復活なのです。

明らかに、一つの過ぎ越しの神秘を二つの部分に切り離すことはできませんが、私たちは信仰と愛の新しい眼差しで復活に目を向けることに焦点を合わせ直さなければなりません!「もしキリストが復活しなかったなら、あなたの信仰はむなしく・・・しかし実際にキリストは死者の中から復活された!」ですから、「キリストは生きておられるので」私たちは聖霊のうちに新しい命を生き、勝ち誇って人生に立ち向かうことができるのです。

 

主の復活は聖金曜日・主の受難が最後のことばではなかったという私たちの信仰を強めるのですが、主の復活は私たちの救いの決定的な継続している行為です。それ故、聖アウグスチヌスは「私たちは主の復活のキリスト者であり、アレルヤは私たちの歌です。」と叫びました。信仰の賜物は、私たちへの最高の復活祭の贈り物であり、人生の栄枯盛衰に直面する中での喜び、愛、勇気という、また別の復活の贈り物へと導きます。イエスご自身が約束なさいました;「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」(ヨハネ15:11)

 ですから、教皇フランシスコは次のように強調しておられます:喜びの無いキリスト者は、キリスト者ではないか、あるいは病気かの、どちらかです。それ以外はあり得ません!健康面で健全ではないのです。健全なキリスト者は喜びに満ちたキリスト者です。喜びはキリスト者の印です。痛みや苦難、迫害のうちにあってもです。」

 

主の復活の祭日がわたしたちを「真の」「喜びに満ちた」キリスト者にしてくださいますように!

キリストは真に復活されました!

主のご復活おめでとうございます!