10月22日 年間第29主日 マタイ22章15節~21節 イエスさんのとんち話?

 

先週までは祭司長や民の長老たちに対して回心を求めるイエスのぶどう園三部作と婚宴のたとえでした。今日の福音はその続きですが、ファリサイ派やヘロデ派の人々のイエスに対する悪意のある質問、そしてそれに対するイエスの答えです。

 

ファリサイ派の人々は、仲間である祭司長や長老たちがイエスから非難されているのを見て、イエスを捕らえる口実を作ろうとします。それでヘロデ派の人々と結託してイエスを陥れようとするのですが、本来、ファリサイ派とヘロデ派の人たちは対立関係にありました。税金に関していえばファリサイ派はユダヤの律法を厳しく守っていたので他国に対する税金を認めていませんでした。そもそも律法は他国の支配を想定していなかったからです。それに対してヘロデ派の人々は、ローマ皇帝が任命したヘロデ王を支持する政治的なグループなのでローマ帝国には忠実な人たちでした。それが反イエスということで協力したのです。自分たちに都合の悪い人を攻撃するには敵対するグループとも手を結ぶ醜い構造がここに表れていますね。敵の敵は味方、ということでしょう。

イエスに対する質問も彼らの主張に基づいています。「ローマに税金を納めなさい」と言えば「律法に従わないのか」と責めることができますし、「納める必要がない」と言えばヘロデ派の出番です。「お前はローマ皇帝に逆らうのか」と訴えることができます。いわば逃げ場のない質問です。万事休すといったところですね。

それでイエスは銀貨に皇帝の肖像と銘があることから、「皇帝のものは皇帝に返せ」と言って税金を納めることを認められます。こう言われたらファリサイ派もヘロデ派もだまるしかありません。さすがイエスさん、「とんち」が効いてますね!「この橋渡るべからず」という立札を見て、橋の真ん中を渡ったという一休さんのようです。しかしこれは、イエスが「とんち」でうまくその場をすり抜けたという物語で終わるのではありません。

イエスは付け加えて「神のものは神に返せ」と言われます。イエスの答えにおいて「皇帝のもの」が銀貨であるのは明らかですが、「神のもの」とは何でしょうか。いくつかの解釈があるようですが、ファリサイ派やヘロデ派の人々のあり方を考えてみましょう。

ファリサイ派の人々は律法を守ることを大切にし、それを誇りに思っていました。しかし、そのために律法を守れない人々を見下していました。ヘロデ派の人々は世俗的な権力を支持する人々でした。いずれもこの世での名誉や権力にとらわれていた人々です。しかしほんとうの名誉や権力は神に帰するべきものであるはずです。

 

10月8日の福音のぶどう園の労働者たちは、神から預けられたものを自分たちだけで独占しようとしました。しかし、神はそれをお許しになりませんでした。神が世界を人類にゆだねられたのは、神の国の実現に向けて神とともに歩むためです。それが「神のものは神に返す」ということなのではないでしょうか。            (柳本神父)