1月1日 神の母聖マリア ルカ2章16~21節 マリアは心に納めて思い巡らしていた

 

みなさん、あけましておめでとうございます。新年元日は神の母聖マリアの祭日です。今年はちょうど日曜日にあたるので、新年最初の主日が元日となります。

聖マリアを「神の母」と呼ぶのは、431年のエフェソ公会議で決定されたことです。コンスタンティノープルの大司教ネストリウスは「マリアは人間イエスの母であって神の母ではない」と主張しました。それに対して公会議では、イエスにおいて人性と神性は分かちがたく結ばれているのであり、マリアは人間であり神でもあるイエスを生んだということを確認しました。それで「神の母聖マリア」と呼ばれるようになったのです。

 

さて、今日の福音は主の降誕・夜半のミサ(12月24日夜)の福音の続きです。天使のお告げを受けた羊飼いたちが、飼い葉桶に眠る救い主と出会ったという内容ですが、その後に「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた」という記述があります。1月1日がちょうど主の降誕の八日目にあたるため、この箇所が選ばれているのでしょう。

羊飼いはその仕事の関係で、社会から離れたところで生活していました。住む家もなく羊とともに暮らし、財産もほとんど持たない貧しい人たちだったようです。そのような羊飼いが最初に救い主と出会う機会が与えられました。彼らは自分たちと同じ貧しさの中で生まれた救い主の姿を見てうれしく思ったのではないでしょうか。そして羊飼いたちは、幼子のことを人々に知らせたということです。これは最初の福音宣教だといえるかもしれません。彼らはきっと救い主は貧しい人々の友であることを伝えたことでしょう。

この箇所でわたしが印象に残っているのが「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」というところです。この表現はもう一度、両親が見失った少年時代のイエスを神殿に見つけた出来事の際にも記されています。マリアは何を心に納め、思い巡らしていたのでしょうか。

おそらく、マリアはこれらの出来事を通して神が何を望んでおられるかを考えていたのではないでしょうか。このような歴史的な出来事に限らず、日常生活のさまざまな出来事にも神の思いを読み取ることができるはずです。

 

聖母の祝日はわたしたち自身のお祝いでもあります。マリアはわたしたち人間に模範を示す方です。わたしたちはマリアのように神の子を胎内に宿すことはありませんが、みことばを通して、また聖体の秘跡を通して心の中にキリストを宿しています。そしてマリアが神の子をこの世に生み出す使命を与えられたように、わたしたちにもキリストをこの世に生み出す使命が与えられています。それが福音宣教です。

わたしたちも聖母マリアのように、日常の出来事を心に納め、思い巡らし、神の思いを受け止めていくことができますように。                (柳本神父)