4月8日(夜) 復活の聖なる徹夜祭 マタイ28章1~10節 ガリラヤでお目にかかれる

 

今夜は一年の典礼の頂点として主の復活を祝う復活徹夜祭です。徹夜祭といっても現在は夜を徹して行われるわけではありませんが、以前は夜中に行われていました。現在でもハリストス正教会では徹夜で行われます。

「三日目に復活した」というのに次の日やないか、と思われるでしょうが、ユダヤの暦では日没後は次の日の前晩として日付が変わるので、三日目になるということです。

 

復活徹夜祭の福音は婦人たちがイエスの墓に行く場面が朗読されます。今年はA年なのでマタイの福音です。なお、ヨハネの福音は明日の日曜日に朗読されます。夜のミサなのにあくる朝の出来事が朗読されるわけですが、福音書には夜中の出来事が記されていないのでこれをもって主の復活を記念するということになっています。つまり、この出来事の中に主の復活の意味が示されているということです。

イエスがどのように生き返ったかは聖書にも記されていないので知るすべがありません。イエスが石棺の上に十字の旗を持って立つ姿や、墓から出てきたところにローマ兵が「どひゃー」と驚いている絵などがありますが、あくまでもイメージであって実際にはそういうことはなかったでしょう。わかっていることは日曜日の朝に墓は空っぽであったこと、そしてイエスは復活されたというお告げがあったことです。

「イエスが復活された」というメッセージはマタイでは天使が、マルコでは若者が、ルカでは輝く衣を着た二人の人が婦人たちに伝えています。いずれも天使なのでしょう。そして「あなたがたより先にガリラヤに行かれる、そこでお目にかかれる」と告げます。

なぜガリラヤなのでしょうか。ガリラヤはイエスが宣教を始められた場所であるとともに、弟子たちがイエスと最初に出会い、招かれた場所でした。そこでイエスと出会うことはその再現であるともいえます。しかし大きな違いがあります。最初の出会いはイエスがどのような方かわからない中での出会いでした。イエスとともにいるときも弟子たちはまだイエスのことを理解していません。しかし今回は違います。イエスが受難と死を乗り越えて復活されたことを体験した中での出会いです。弟子たちも最初イエスと出会った場所で、こんどは全く新たな思いでイエスと出会うことができたのではないでしょうか。

 

B年・C年と異なり今日の福音朗読では最後にイエスが婦人たちの前に姿を表します。「おはよう」というあいさつは唐突のようですが、原文は「喜びなさい」という意味だそうです。彼女らにとってイエスとの出会いは感動的な出来事だったのですが、それに対してイエスは何事もなかったかのように伝言を授けられます。婦人たちにはメッセンジャーの役割が与えられているのです。主の復活を体験することは喜びのメッセージを伝えること、つまり福音宣教の始まりなのです。                (柳本神父)