5月28日 聖霊降臨 ヨハネ20章19~23節  聖霊は現代のわたしたちにも降っている

 

今日は聖霊降臨の祭日です。ことばの典礼では、第一朗読の使徒言行録と福音でそれぞれ聖霊が与えられる場面が朗読されます。

聖霊降臨のことを一般に「ペンテコステ」といいます。これはユダヤ教の五旬祭の日が復活から50日目にあたり、その日に聖霊が降ったと記されているからです。ギリシャ語で「ペンタ」が五を意味するのでそこからきています。ちなみにアメリカ国防総省を「ペンタゴン」というのは平面が五角形だからです。

 

それでわたしたちは聖霊降臨というと第一朗読の五旬祭の出来事を思い起こします。そのときにはじめてこの世に聖霊が降ったと考えがちです。

ところが福音ではイエスが息を吹きかけることによって、直接聖霊を与えられます。はたしてどちらがほんとうの聖霊降臨なのでしょうか。結論から言うとどちらもほんとうの聖霊降臨です。そして、それらの出来事は聖霊がどのように降臨したかということよりも、聖霊を受けることによって弟子たちがどう変わったかということを表しているということです。その意味では、弟子たちにとって復活したイエスとの出会いがどのような変化をもたらしたか、ということと共通しています。

福音のイエスが息を吹きかけたということは、聖霊がイエスの息であるということです。「息」は神が人間の創造のときに、アダムの鼻に「命の息を吹きいれられた」と記されているように命のシンボルです。つまり、聖霊は神の命を表す存在だということです。

イエスは「誰の罪でもあなたがたが赦せば赦され、赦さなければ赦されないまま残る」と言われます。これは罪のゆるしの権限を与えられた、というよりも、神があなたがたに罪のゆるしを与えられている、ということを伝えなさい、ということだと言えます。つまりイエスの福音を告げる使命が与えられているということです。

使徒言行録では、聖霊を受けた弟子たちがほかの国の言葉で話しだし、いろいろな国からきている人々が自分たちの故郷の言葉で神の偉大な業を聞くということが記されています。そんなふうに外国語ができたらいいなあと思いますが、これはさまざまな国々に福音が告げ知らされるというしるしではないでしょうか。多くの宣教師も、日本で宣教するために努力して日本の言葉を覚えられました。フィリピンから来られた神父さんも、インドから来られたシスターも、日本で司牧するために努力しておられます。このような努力の陰には聖霊の助けがあるといってもいいでしょう。

 

聖霊は今も働いています。ミサをはじめとする秘跡は聖霊の働きによるものですし、教会が宣教するためには聖霊の助けが必要です。わたしたちひとりひとりにも聖霊が降っています。聖霊降臨は過去の出来事ではないのです。           (柳本神父)