6月4日 三位一体 ヨハネ3章16~18節  三位一体の神はわたしたちを神の国へと導かれる

 

主の昇天でイエスが父のもとに行かれたことを記念し、次の主日に聖霊が遣わされたことを記念したわたしたちは今週、三位一体の神を記念します。この父と子と聖霊の関係が三位一体であるというわけですが、イエスが父に祈られたことや、イエスが聖霊を「その方」と呼ばれるなどのことから、別々の存在のようにも思えますがいったいどのように「一体」なのでしょうか。あ、ダジャレになっていますね。

 

三位一体の説明はいろいろあります。一つは歴史的説明です。旧約の時代にイスラエルの民を選ばれ、導かれた主は父なる神(父と呼ばれるのはイエスの時代からですが)、新約の時代に教え導かれたのは子であるイエス、そして宣教=教会の時代を助け導かれるのが聖霊であるという考え方です。これは時代によって導かれる神のあり方は違いますが、いずれも同じ神であるということです。

あまりいいたとえではないかもしれませんが、わたしはときどき銀行にたとえます。銀行の本店(本体)は父、イエスは銀行の窓口(または外交員)で銀行のことをいろいろ教えてくれます。では聖霊は?いつでも銀行預金を引き出せるキャッシュカードでしょうか。わたしたちにとって、必要に応じて銀行とのかかわり方は異なりますが、いずれも銀行と取引していることに変わりないのです。かえってわかりにくくなっていたらすみません。

もう一つは旅のイメージです。イエスが示す道を聖霊の働きのうちに父に向ってわたしたちは旅をするということです。海を行く船のほうがぴったりくるかもしれません。船に乗るのはわたしたち、舵取り(あるいは水先案内人)はキリスト、聖霊は船を進める風、目指す港は父であるということです。父のもとには神の国があります。神はそのようにわたしたちを神の国の完成に向かって進めてくださっているということです。

そこで今日の福音をもう一度読んでみましょう。神が世を救われるために御子をこの世に遣わされた、という内容です。三位一体とは直接関係がないようにも思われるかもしれません。「神」と「御子」は出てきますが「聖霊」は登場しません。しかし、御子の救いを告げ知らせ、すべての人を神のもとに呼び寄せるには聖霊の助けが必要です。世の救いは神の国の完成によって成し遂げられるのですから、やはりわたしたちは神の国に向かう旅人だといえるでしょう。聖霊はその同伴者であり、サポーターです。

 

神が三位一体であられるのは人類(世)を救われるためです。わたしたちのために三位のあり方を示してくださったといってもいいかもしれません。大切なことは、わたしにとって父はどのような方であり、御子イエスはどのような方であり、聖霊はどのような方であるかということです。三位一体の神秘とは神がどのように存在されているかということではなく、神とわたしたちのかかわりを表すものなのです。       (柳本神父)