1月21日 年間第三主日 マルコ1章14節~20節 イエスはひとりひとりを見つめて招かれる

 

イエスは宣教を始めるにあたり、弟子たちを呼び集めました。年間はイエスの宣教を記念します。それで今日の福音はイエスが弟子に声を掛けられる場面です。先週はアンデレと、ヨハネと思われるもう一人の弟子が洗礼者ヨハネのもとからイエスの弟子に引き継がれる話でしたが、今日は別バージョンとなっています。

 

イエスが弟子を集められたといえば、今週の福音のイメージではないでしょうか。マタイの福音ではマルコとほぼ同じ内容です。ルカは舟の上でイエスの指示によってたくさん魚が取れたあとに弟子となる内容ですが、これらの三つの福音では、漁の際に弟子となるということは共通しています。ヨハネの福音書については先週書いたように、「洗礼者ヨハネからイエスへ」というプロセスが強調されていますが、他の三つの福音書は何を語るのでしょうか。

これらに共通するのは、イエスのほうから声をかけられているということです。イエスが声をかけられたのは手当たり次第なのか、これと思う人を選ばれたのかはわかりません。おもしろいのは、三つの福音書では、いずれも「人間をとる漁師にしよう」と言われていることです。「お、シャレがきいているやん」と思う人もいれば、「信者は魚扱いかよー」と思う人もいるでしょう。「とる」は「集める」ということでしょうが、大事なのは彼らが漁師だからそう言われたということです。「今は魚をとる漁師やけど、これからは人を集める漁師になるんやで」と言われるイエスの視線はシモンとアンデレに注がれています。ここに「弟子になる者この指とまれ」ではなく、「あなたを弟子にしたいのだ」というイエスの強い思いが表れているのではないでしょうか。

では、彼らは弟子にふさわしいから選ばれたのでしょうか。どんな人が弟子にふさわしいのでしょうか。会社では優秀な人材が求められます。頭のいい人、技術力を持っている人、管理能力がある人、人あたりのいい人、などが選ばれる傾向があります。失礼ながら、弟子たちはそのような能力にたけていたようには思われません。イエスも面接や試験をして弟子にしたわけではないようです。ただ一つ、選ばれた理由は「呼びかけに応えてついてきたこと」だといえるでしょう。

 

イエスは「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と言われました。これはヨハネ福音書のみことばですが、このことは弟子たちだけでなく、わたしたちすべてにあてはまります。イエスはシモンやアンデレに言われたように、わたしたちひとりひとりを見つめて「わたしについてきなさい」と言われます。このプリントを読んでいるみなさんはイエスに呼びかけに応えてついて来た方です。そしてイエスの呼びかけに気づいていない多くの人がいます。イエスの呼びかけに気づいた私たちは、洗礼者ヨハネのように、神の子羊を紹介する立場でもあるのです。      (柳本神父)