4月4日復活の主日 ヨハネ20章1~9節 復活の信仰は復活したイエスとの出会い

復活徹夜祭はマルコによる福音から、三人の女性が墓に行って若者と出会ったという福音朗読でした。日中のミサではヨハネの福音が朗読されます。ここでは、まずマグダラのマリアが、そしてペトロとヨハネが空の墓を確認します。

復活祭は一年の典礼の頂点であり、イエスの復活を記念する教会で最も大きなお祝いです。ところが、福音ではまだイエスは登場しません。福音朗読に限って言えば、主役のいないお祝いのようです。本人がいないのに誕生日のパーティーをして「おめでとう!」と言っているような状態だといえるでしょう。

クリスマスは信者でなくてもパーティーをしたりしますが、復活祭・イースターは教会以外ではあまり知られていません。毎年日が変わるというのもありますが、復活祭にはこれといったシンボルがなくてイメージしにくいというのもあります。でも最近はスーパーでお菓子や食品に「イースター」というシールが貼ってあるのを見かけるようになりました。さすがは日本のスーパー、商魂たくましいですね!

復活祭が社会に知られない最大の理由は、「イエスの復活」が一般には理解しがたい出来事であるからでしょう。そう、それはキリスト教信仰の中心であるからです。

クリスマスといえば馬小屋で生まれたイエスさま、というイメージがあります。しかし、イエスの復活の様子は描くことができません。その瞬間に出会った人は誰もいないのです。では、弟子たちや女性たちはどうして復活を知ったかというと、復活したイエスと出会ったからです。今日の福音の時点では、「何かが起こっている、でもまだわからない」という状況を表しています。

徹夜祭の福音と今日の福音は、わたしたちにとって親しみを覚える内容だといえるでしょう。わたしたちは、イエスの復活を告げられていますが、生身のイエスとは出会っていません。今日の福音の弟子たちやマグダラのマリアのように、ほんとうにイエスは復活したのか、確信を持てない気持ちもあるかもしれません。けれども、確かにイエスは復活されたのです。

わたしたちは生身のイエスとは会えないかもしれないけれど、実はいろいろなところでイエスと出会っています。みなさんがこの説教を読んでくださっているのも、どこかでイエスと出会い、イエスに招かれて教会にかかわりを持つようになったからです。

これから復活節の福音朗読で、さまざまな復活のイエスとの出会いが読まれます。イエスの復活は少しずつ知られ、広がっていきます。わたしたちのイエスとの出会いは福音の続きだといえるでしょう。そして多くの人はイエスの復活を知りません。それを伝えていくのがイエスと出会ったわたしたちの役割です。(柳本神父)