6月12日 三位一体 ヨハネ16章12~15節 世界を救うための神秘

 

旧約時代には父なる神、新約時代には子であるキリスト、そして聖霊降臨によって三つのペルソナ(神の位格)が揃ったということで、今日は三位一体を記念します。

福音の箇所は「真理の霊」、つまり聖霊が来られることの予告です。復活節第六主日や聖霊降臨の主日の福音と同じく、最後の晩さんの際に語られた説教の一部で、内容も似ています。今日の箇所では、子であるイエスが聖霊の到来を予告しておられます。そこには三位一体の子と聖霊は表されていますが、父は単に「父が持っておられるもの」としか出てきません。それなのになぜ三位一体の主日に読まれるのでしょうか。

イエスは「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである」と言われます。映画や小説で、養子に迎えられた子が、「この家のものはみんなあなたのものだから自由に使っていいのよ」と言われるようなことを連想しますが、少し意味が違います。

ヨハネ14章でイエスがフィリポに「わたしを見た者は、父を見たのだ」「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる」と言われたように、父と子は一体です。子の内に父がおられるので、今日の箇所の「その方(聖霊)がわたしのもの(=父のもの)を受けてあなたがたに伝える」という言葉は三位一体の神を表しているといえるのです。

 

三位一体の神秘を知るということは、三つのペルソナがどのように分かれていて、どのようにつながっているかといったような、構造を知ることではありません。

それでも「一つの神なのになぜイエスは父に祈り、問いかけられたのか」「なぜイエスは聖霊を『その方』と他人のように呼んだのか」など、疑問は残ります。時代によって現れ方が違う(旧約時代は父、新約時代は子、教会の時代は聖霊)、私たちとの関係性が違う(聖霊の交わりの中で、主・キリストを通して父へ)などという説明はできますが、大切なことは、人類が存在しなければ神は三位一体である必要はないということです。わたしたち人間を導き、あがなうために御子イエスは人となられました。父なる神は預言者を通してイスラエルの民を導かれました。聖霊はわたしたちの上に降り、世界を完成へと導かれます。つまり、三位一体の神秘は世界を救うための神秘であるということです。

 

今日の福音でイエスが言われた「真理の霊(聖霊)が来ると、真理をことごとく悟らせる」という言葉は、「三位一体の神が救いの恵みを悟らせてくださること」であるといえるのではないでしょうか。そして、聖霊を受けた弟子たちは、イエスが告げ知らせた救いの恵みを伝えていきました。これは、教会の使命を表しています。聖霊はわたしたちの教会を宣教に導く霊なのです。

コロナ禍は、今までの教会のありかたを一変させてしまいました。しかし、これはある意味ではチャンスです。コロナ下であってもなくても常に与えられている宣教の使命を、どのように果たすかを考える機会とするために聖霊の働きを願いましょう。(柳本神父)